Episode 1
和歌の数々
『紫草の匂へる妹を憎くあらば他妻ゆゑに我恋ひめやも』
紫のように美しい君。君を憎く思うのなら、
人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか。
『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』
茜色の光に満ちている紫の野(天智天皇御領地の野)で、
あぁ、あなたはそんなに袖を振ってらして、野守が見るかもしれませんよ。
『恋しくはしたにを思へ紫のねずりの衣色にいづなゆめ』
恋しい時は密かに思いなさい、決して紫の根で摺った衣のように、
決して心を表に出してはいけません。
『紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあわれとぞみる』
武蔵野に立ってみると、ふと紫草が一本生えている。
何とも珍しく、貴重でいとおしいことだろう。
それゆえに武蔵野はすべていとおしいものに思える。
万葉集や古今和歌集に登場する「ムラサキ草」。
これは薬草としてのみならず、「美しいもの」として、昔の人々に親しまれていることを特徴づけているものです。
これがもう一つの主な用途、染料としての紫根の力です。
Episode 3
禁じられた色?
身分の低い者には着用が許されない「禁色(きんじき)」としても知られており、
聖徳太子が制定した冠位十二階でも最高の色とされています。
上の歌では「美しいもの」のたとえの他にも、
「天皇」であったり、「はかないもの」であったりなど、
高貴な身分の者のみに許される、希少かつ珍しいものの象徴であることが分かります。
勅許のない人は着ることができない色のため、
そのため一般の人は「ゆるし色」と呼ばれる、淡い色合いのものを着ていたそうです。
人気と共に、憧れでもあったというわけですね。
その後、天下人、豊臣秀吉によってこの禁色が解かれます。
彼は好んで紫根染めの陣羽織を着用していたという記録が残っていますが、
出世意欲の強かったという性格が、素直に現れていると言えるでしょう。
Episode 5
「紫色」の現在
奥州、甲州、総州、播磨などでの栽培がなされていたそうですが、
これも明治時代に化学染料の進化とともに廃れ、
いまでは岩手県の盛岡と、秋田県陸中花輪の一部で栽培されているのみに。
特に岩手県の「南部紫根染」は1200年前からの歴史を持ち、
鎌倉時代には広く知られて痛そうです。
江戸時代の南部藩では保護奨励もされていたそうで、
「紫根支配人」という役職も設けられ、
藩外への持ち出しも固く禁じられていたとのことです。
この伝統は今に引き継がれ、「南部しぼり」として内外に高い評価を得ています。
また、国外に目を転じても、紫という色は重用されていることがわかります。
例えば、カトリックのローマ法王の礼服の色も紫と定められています。
さらに、イギリス王家の象徴として、紫色の服は認識されています。
染めの方法に違いはあっても、どこか「紫」という色には、
人々の居住まいを正す、気品と風格があるのかもしれません。